雨を匂う

 すると、ある日突然、雨が生ぬるく匂い始めた。「あ、夕立が来る」と、思った。

 庭木を叩く雨粒が、今までとはちがう音に聞こえた。その直後、あたりにムウッと土の匂いがたちこめた。

 それまでは、雨は「空から落ちてくる水」でしかなく、匂いなどなかった。土の匂いもしなかった。私は、ガラス瓶の中から外を眺めているようなものだった。そのガラスの覆いが取れて、季節が「匂い」や「音」という五感にうったえ始めた。自分は、生まれた水辺の匂いを嗅ぎ分ける一匹のカエルのような季節の生きものなのだということを思い出した。

 

 

 

  『日日是好日 −お茶が教えてくれた15のしあわせー 』 森下典子 著

    まえがきより

 

 

 

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雨の季節になりました。

 

黒木華、樹木希林で映画化されました原作、森下典子のエッセイからの1シーン。

 

このエッセイは茶道をとおして、つらいこと、うれしいことが全身で感じれるような文章で、まるで茶室にいるような、そこでの匂いや手触りが感じられるような世界に浸れます。

 

匂いは記憶に直結しますね。匂いである日の景色が蘇ることがあります。どんなに古い記憶でも。

 

自分のまわりの景色を音を匂いを五感をつかって感じたいと、雨の続く季節になると思います。

 

 

毎日がよい日。雨の日は、雨を聴くこと。いま、この時を生きる歓び―――。

  本の帯より

 

 

 

道案内

 その街区は都会の中の引き出しの奥のようなところにありました。

 

 人を惑わせるためにつくられたのではないかというくらい、いくつもの路地が入り組み、猫しか通れないような狭い道もあります。

 

 目印の駄菓子屋がある角を曲がり、いまどきめずらしい木製の電信柱をやり過ごして突き当たったのは、昔、読んだ本に出てきたガス燈のある袋小路です。

 東京の片隅からいきなり本の中の異国の時間へ連れ去られたようで、静かな図書館で夢中になってページをめくっていた、あの高揚とした気分がよみがえりました。

 

 さて、ここはいったい本の世界なのか、夢やまぼろしの異界なのかと首を傾げたところ、傾げた角度から目に映った一軒の店――。

 それが〈クラフト・エヴィング商會〉でした。

 

 見れば、その看板には「ないもの、あります」なる謳い文句。

 創業は明治で、「舶来の品および古今東西より仕入れた不思議の品の販売」と謳い文句はつづいています。

 店の正面にはガラス張りの陳列棚が――。

 ガラスに指をあてて中を覗くと、得体の知れない商品の数々。

 いわく――ガルガンチュワの涙、雲砂糖、四次元コンパス、道化師の鼻、サラマンドルの尻尾、声の棺、七つの夜の香り……エトセトラエトセトラ……

 

 

 

    『注文の多い注文書』 小川洋子 クラフト・エヴィング商會 著

      まえがきより

 

 

 

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まるで、露地を亭主のしつらえを楽しみながら庭の奥へ、そして茶室に辿り着くような描写。

 

でも、これは不思議な世界への道案内。

まずは、お店まで。

クラフト・エヴィング商會は何でも探してくれます。

 

この小説は、川端康成、J.D.サリンジャー、村上春樹、ボリス・ヴィアン、内田百里両説をもとに小川洋子が抜き出した難解な依頼品をクラフト・エヴィング商會が解決していく内容。注文書、納品書、受領書からなる短編5話。両者のやり取りが面白く。不思議な世界にいつの間にか浸ってしまいます。

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